
同社の電子書籍リーダーSony Readerは今春、Sony Connect Store経由でダウンロードできる数千作の電子書籍と併せて提供開始される。
Sony Readerは内蔵メモリに100冊の電子書籍を保存でき、メモリースティックを使えばもっと多くの書籍を保存可能だ。ユーザーはフォントサイズを4段階で調整でき、本文をスクロールして読み進めたり戻ったりできる。ソニーはこのデバイスの価格を公表しなかった。
ストリンガー氏の講演では「ダ・ヴィンチ・コード」の著者であるダン・ブラウン氏がステージに登場し、電子書籍は旅行者が旅先でより多くの本を読めるようにする手段として人気を博すか、あるいは生徒が多数の教科書を1台の小型デバイスに格納し、重い鞄を持たなくても済むようにできるため学校で人気が出るだろうと語った。
最終的に、「電子書籍の出版コストが下がれば、(出版)会社は比較的知名度が低い作家の本を出すリスクを負えるようになるだろう」とブラウン氏。「その影響で、もっと多くの本が出版され、読者の選択肢が増える」
ソニーはSony Readerの販売と、Connect Storeを介した書籍の仲介で収益を上げる可能性が高い。@ITmedia
まじで!? そりゃ楽しみ!今度こそ本腰入れてくれることを切に願う。バカンスのたびに本だけのアタッシュケースが荷物に加わるのから解放される!
]]> それからわずか1年半の間に、「Web 2.0」という言葉はすっかり根を下ろし た。この言葉をGoogleで検索すると、950万件以上のヒットがある。しかし、 Web 2.0が意味するものについては、いまだに深刻な意見の相違が見られる。 これを口先だけの無意味なマーケティング用語だと批判する者もいれば、新た な社会通念と見なす者もいる。
この論文の目的は、Web 2.0という言葉でわれわれが何を意味しているのか を明確にすることである。
最初のブレインストーミングでは、具体例を挙げることで、Web 2.0のイメ ージを固めていった。
これに続いて具体的に、1.0的、2.0的とオライリーがイメージする企業を上げて対比しながら、その概念をとらえようと試みていく。日本ではサービスを行っていない企業もあってイメージしづらいので少々くわしく見ていこう。ただし特徴を明確にするためのものなので正確さ以上に観念的な企業イメージを優先させていく。テキスト上でのオライリー自身も同じはずだ。
●DoubleClick vs GoogleAdSense
まずは広告業の巨人から。DoubleClickは雑誌広告と同じようにスペースの売買を行う。「ここに載せるのがいくら」の世界。いわば不動産的看板業。人気の有る土地は高い。リアルの世界と同じというわけだ。しかもネットには遠地というものが存在しないので全てはトップにのみ集まる。いかに集まる場所となるか、つまり「トップが明確になる前にいかに勝ち抜けて頂上を獲るか」(2位以下は最下位まですべて同位)、これはネット広告の黎明期に蔓延した恐怖感だった。
GoogleAdSenseは、どこにでも現れる広告だ。検索結果というリソースをもとにその人に適切と思われるものを出す、ということは、どこもが適地であり、頂上はない。広告はサーブされるものであって、ユーザは号令で集められるものでない。つまりGoogleAdSenseはDoubleClickの示すネット像に対して、世界はそのような構造でないと言って不要にヒステリックな恐怖感を払拭した、というわけだ。
オライリーは広告モデルが新しいといってるのではなく、こうした通底する世界観が異なるものとしてこの2つを対比しているのだろう。
ところでこんなペースで終わんのか?
]]>「Web 2.0」という概念は、O'ReillyとMediaLive Internationalによるブレ インストーミングから生まれた。ウェブのパイオニアであり、現在はO' Reillyでバイスプレジデントを務めるDale Doughertyは、ウェブは「崩壊」し たどころか、かつてないほど重要な存在となっており、刺激的なアプリケーシ ョンやサイトは、驚くほど着実に生まれていると指摘した。また、バブル崩壊 を生き延びた企業には、いくつかの共通点があるように思われた。ドットコム の崩壊によって、ウェブは確かにある種の転換点を迎えたのではないか。だと すれば、「Web 2.0」について議論することには意味があるのではないか。こ の考えをもとに、われわれはWeb 2.0カンファレンスの開催を決意した。
■前回の読解では少し先走ったが、ここで「崩壊したインターネットサービス」というのは、用法を誤ったものであり技術思想(?)が淘汰されたものではないとはっきり述べられる。崩壊したのは、技術ではなくアイデアなのだ。繰り返しになるがそれ故今後も誤ったアイデアを元にしたサービスが生まれ死んでゆくことは起こりうるのだ。なんだかまた先取って結論めいた展開になりつつあるがWEB2.0とは現在のこうした局面での正解を指し示す一つの指針なのだ。
■さてここで、その正解は少なくともいくつかのトレンド企業(成功企業とはいえない)に共通して見ることができるという。ただそれを体現しているわけではなく、いくつかの企業を比べたとき共通点として見ることができるという。このことはこれからオライリーの言おうとしているWEB2.0が、仕様でも観念でもなく概念であることを示している。
逆にこういうことを発言することが、その表現ツールとなるFormat2.0のアイデアを誰か出してよ、とも意味のとれてしまうのがオライリーのニクイ立場なのだが、そうなのか、それともインターネット(とそのユーザー?)というインフラが初めから内在的にもっている資質で、その今なりの現れを掴もう(ネットとユーザーの関係というのは、そうしか出来ないものなのだ)と言っているのか、どちらかはここで明らかにはならない。
ここをあえて注釈するとするとオライリーは、ユーザーはネットの可能性をまだまだ理解しておらず、現状の「出来ることのイメージ」は今時点のユーザーの「アイデアの限界からの妥協案」でしかないといっている。つまりネットとはこういう物だ、的発言は全て否定される。ギークには当たり前だが、このネットへの謙譲的なスタンスは、テクノフリーク達の世界観を形作るピースであり、一般人とのそれとは違うというのは当たり前だがあえて言っておく必要がある。両者の間では言葉の意味が違うからだ。
]]>今回の特集にあたってコンパクトにまとめてみようと、いろいろWEB上のテキストに当たってみたのですが、そういう行為自体が1.0というか失敗しました。うまくいかないときは原典にあたれ。これ鉄則です。そこで中心となるTimO'Reilly自身のテキストを精読するスタイルにしましょう。シンプルに正面突破です。
テキストは、サンフランシスコのArgent Hotelで開催されたカンファレンス「Web 2.0 Conference 2005」に先だってTim O'Reilly氏から発表された「What is Web 2.0」。もはやバイブル的存在。翻訳はCNET Japanで公開されてる。本稿の引用はこの翻訳版に基づく。
まずテキストはドットコムバブルに言及する。報告っぽい体裁だが実際の内容は「なぜ起こったのか」について。この視点が以後の論説の前提となっている。
2001年のドットコムバブルの崩壊は、ウェブにとって、ひとつの転換点とな った。「ウェブは誇大に宣伝されていた」と多くの人が結論を下したが、バブ ルとその後の淘汰はあらゆる技術革命に共通する特徴であるように思われる。 一般に、淘汰は新興技術がそれまでの主役に取って代わる段階に到達したこと を示している。見かけ倒しの企業は駆逐され、本物の実力を備えた企業が大き な成功を収める。そして、両者の違いが理解されるようになる。
■ここでは新しい技術が古いものを淘汰したかのような記述だが、むしろここでの含意は「成熟度が牽引して、利用者の理解が向上し”利用法が誤ったもの”、”実は効用が重複したサービス”が淘汰されたのだと」注釈したほうがいいだろう。後に続きやすい。
■つまり前を受けて、淘汰されたものは単に旧態依然とした産業界の資本投入がセンスを外していたためでなく、明らかに誤ったサービスを計画したものであったということだ。現在のトレンドはこの、誤りと正解が対比されているという。
つまり2.0へのトレンドの移行はごく当然のことであって、無理があったのでバブルは崩壊したということになっている。これは2.0がまだ概念でしかないにもかかわらず存在する熱烈な支持者の正当性を証明する歴史的(精神的?)支柱となっている。
僕が恣意的に読解を技術トレンドの変化から、誤りが正される過程へと読み替えているのは、このテキストの裏読みとして(少なくともその意義として)通底する、こうした用法の誤りは今後も大いに起こりうるという警鐘を引っ張り出すためだ。次回へ続きます。
]]>なぜ電車の中なのかとか、写真を撮るようになったキッカケはとか、何を撮りたいのかとか。当たり障り無いけどもっともな質問もやっぱり空振りだ。でも彼女に会ってみて、そうした態度が、当たり障りのない答えを小狡く用意してあるよりも、ずっと作品にも鑑賞者にも誠意ある態度だと思った。すくなくとも彼女の場合は。
電車にのるとどきどきするそうだ。大好きなんだそうだ。「さよなら日本!さよなら地球の皆さん!」彼女が書いている。これだけで十分説明してるように思う。あんまり説明しすぎるのは野暮だと思う。
僕自身が面白いと思ったのは、すごく接写でとってるのに、電車に乗ってるという緊張感が、写ってる肌にでてると思ったことだ。どこかへ向かっているというワクワク感。そしてスゴイスピードで走ってるその小さな空間を一緒にしているという意識。寝っている人までその一瞬の舞台上で役があるのだと知らされた気がする。人間てそのことが肌理にでるのだ。それを見つけたのだ。好奇心いっぱいに探してるのだ。めずらしそうに手をすりあわせて堪能してるのだ。ハエなのだ。
以前電車の中でのケータイがなぜ腹立つかという考察を読んだ。いくつか説があるけど車内にはその瞬間に意識しないまでも同じ密封空間にいるという共同体意識があり、ケータイで外部と連絡をとってる者に対して、無意識にその協調性を乱された反感をかうという。僕は人間の無自覚な感覚の鋭さと、それが思考以前に気分に影響するというのは、あり得る考えだと思う。
たぶん永沼さんの作品の正しい鑑賞法は、定義でなく連想することなのだと思う。こういう作品なのだと定義し理解しようとするのでなく、そういうものからもっと自由に、あれやこれやと浮かんでくる思考に任せて作品を観てることも忘れてしまうくらい。作品作ってる作家さんには怒られてしまうかもしれないけど。でもそんなこと可能にする作品作れっていわれて意図してはできないだろう。希なるが故に尊いものもある。
言葉はみんなが使うものだ。だからそれで説明すると言うことは、誰でもわかるように説明すると言うことで、それが誰にでも理解できるものであることを前提にしている。それは選ぶかどうかはともかくとして誰の中にでもその部分があることを示している。つまり言葉で説明したとたんに、個性は死ぬのだ。そうじゃないものもある、と考えた方が希望がないだろうか。ならそれを示すことは価値あることでないだろうか。人の感性にはあざとく故意に作り出されたものではない新しいものがある。未知が残されている。未踏の世界がある。世界が知り尽くされたなどと誰が言ったのだ。
]]>少し前のニュースです。
MIT Media Labのネグロポンテは、ダボス会議でOne Laptop Per Child(OLPC)という非営利組織を結成を発表、途上国の子供たちにノートPCを配るプロジェクトがスタートしました。
完成してないけど、『$100ノートPC』を計画中であることが先ほどリリースされてます。
これは非売品で発展途上国の子供に配られためにデザインされたもの。
イメージを見たらわかりますが、なかなかの優れものなんだよね。見てみ。
右側についてる、つまみを回すと充電されます。
子供のうちにメディアリテラシー上げとかないと、経済格差は埋まんないよね。
$100で実現する細かなマシンスペックはこちらを参照:MYCOM PC WEBレポート
]]>マイクロプロセッサ版「ウォーリーをさがせ!」 from CNET News.com
微小なマイクロチップの中に、設計技師によってよってかかれたイタズラ書き。すばらしい。上の写真は、荷結合素子(CCD)の回路上を電車の絵が走っているもの。リンク先記事には10枚ほど作品が紹介されてます。是非ご覧あれ。
]]>
忘れてましたが、昨日だか一昨日だかの話です。私が一日かけて3件ほどクライアントを回って帰ってくる道すがら。何気に足下を見てみるトゥ!左右の靴が違う!トゥが違う!トゥ!どっか、お店で間違った!?いや今日は一度も脱いでないはず!っていうか両方とも確かに僕の靴!っていうことは朝から一日この足だったのか!わぁっ!びっくりした!不思議だ、怪奇現象だ...
確かに今、玄関の電球切れてる..闇には魔物がいるってチャンキー兄さんが言ってた..怖っ!葛城に話すと「両方ジャストサイズだってことだよ」って慰めてくれた。さすが常にポジティブシンキングな人間だと思った。(終)
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美しい光景になんですが、外野は何でもアリです。
先週末に毎度ギルドギャラリーの入るマーメイドビル一階のお蕎麦屋さん、「ときのさい」の店主トモくんの結婚式がありました。おめでとうございます!私、ついその一週間前に奥様とお食事を一緒させていただいたのですが、こちらがお相手とは存じず、当日大いに驚いた次第です。私は2次会から合流したのですが、お召し物は70,ヒッピー風のドレスとティアラ。オノ・ヨーコでございます!すばらしい。おめでとうございます!
なんといってもトモ君といえば、このセンバ界隈では女子競争率MAXを記録し続けるオトコマエ。さしずめ芸能界でいえばキムタクです。いまATOKでキムタクが一発カナ変換できたことに驚きました。さすが日本語入力ソフト界のキムタクです。
そうなれば当然奥様にはこの激戦を勝ち抜いた勝利者インタビューをいただきたいところ。お返事は「特に。」でございました。さすがはセンバ界の工藤静香。私の記憶では当時、主に”女性自身”や”えみチャンネル”などで「年上の癒しテク」だの「恋の超絶駆け引き術」だのと話題に。取り上げようの大きさに大変驚いた覚えがございます。ちなみにエリちゃんのキメ言葉は「結婚しないなら別れて。」だったそうです。さすがは工藤静香。いや失礼、オノ・ヨーコでした。
さて、二次会といえば、引きで物、いや、出し物。引き出しですな。なんでもいいです。今日は雨なんでイマイチ切れが冴えませんな。
そう以前、カミヤ君の2次会で早食いトーナメントが開催され、私めが見事優勝、iPodminiをゲットいたしました。今回もございました早食いトーナメント!もちろん飛び入り!もちろん周りは同じ身内ばかり、減量中などの泣き言は即却下、目指すはV2!「キングオブキングス」でございます!
1回戦は「食パン早食い」。前回ハンバーガー3つをペロリといただいた私としては楽勝と思いきや、これが思わぬ伏兵、難敵、干魃でございまして、一口目で全ての水分を失った参加者8名が大いに苦しんだのでございます。ただそこは初代チャンプの意地がございます。ヨガの原理、人間の神秘、なんとか飲み込んでやりました。
さあ、命運握る2回戦がヤマちゃんとの一騎打ち、お題は「ほ乳瓶で青汁一気のみ」でございます。ほ乳瓶の時点で一気は無理。しかも私、母乳派でして、ほ乳瓶は初体験。少なくとも物心ついてから咥えた記憶はございません。で、結局負け、「王になろうとした男」、ショーン・コネリーでしたっけ?私なりにかなり頑張ったのでないかなと。最後は接戦でございました。新婦に勝利を捧げると誓ったのですが成し遂げられませんでした。
いや、普通に悔しい。前回2位だったハヤトがしつこく蒸し返す気持ちがよくわかりました。彼とは今回で本当の友達になれた気がします。必ずリベンジします!いや、やっぱいいや。
ご両人!おめでとうございます!
結婚式は本当にハッピーのお裾分け。気前のいいお話です。
お幸せに!!
寓意画ではコンパスは”理論”を表す。ちなみに”実践”は老婆。なめんなよ。
以前デザイナーの募集の際には多数の反響ありがとうございました。おかげさまで正社員2名+アルバイト1名をゲットし大所帯となりました。大丈夫。事務所もデカイところに移転しましたし。今度はプログラマーを緊急募集です。
基本はPHPとActionScript。25才ぐらいまでで経験者優遇ですがヤル気次第。実力を付けるには現場が一番と考えるガッツある若者を。ベンチャーの立ち上がり、クリエーターはどうやって食っていくのか、世界はいかにフリールールか、アイデアがどれほど重要か、”社会が悪い”はどんなに軟弱な言い訳か、といったことを学べます。
一緒に働きましょう。そうしましょう。
info@tenpo.ne.jpまで。
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かねてより噂のあったAppleの新ノート?に関すると思われる特許が出願された模様。ひゃっほー!ジョブズの今年の後半にはビッグな発表があるとの弁がnanoのみに止まることのないことを祈るのみ!
こないだの新マウスもたしか先行して特許申請があったはず。たしか発売の半年ぐらい前かな?なんとなくプロダクトの開発がかなり進んでから、随時可能な箇所をピックして申請する体勢の模様。当たり前といえばそうだけど、日本とかのメーカーよりも申請検討のタイミング遅げ。徹底した秘密主義をキープする都合上かな?申請すると公開されちゃうからね。注目されてるぶん苦労もあるね。
なんとなくカメラが付くとか、場所だとかよりも、それで可能になる機能にキモがありそう。むしろソフト的に。ちょっと想像付かんけど。がんばって頂きたい気分。
あと最近ノートで気になるのは熱。某記事によると私のリブレット、なんか45度ぐらい出てるらしいです。どうりで熱くてやってられません。一番優秀なのはVAIOのT。38度ぐらいまでしか上がらないとのこと。人肌です。
なんとかモバイルにたう軽量コンパクトなヤツを頼む!1kg台で!お願い!
]]>しかし、解決しようとしながら知らずに、もしくはそれを装って、議論を対立させるための意見を述べるに終始することは多々発生する。こうしたことは原則的に目的が「生産的な解決」でなく相手を打ち負かすことにすり替わっている。こうした結論は全く本質をくみ取れていないだけに有益な結論にはなりえない。
無論、どのような方法でも主題が同じなら時間を使ってるうちに「ひょうたんからコマ」的に望ましい結論に達することもある。しかし、打ち負かしてしまえは相手に禍根を残す。同じ結論を得るためにあえて負債を負うのはナンセンスだ。迷子の結果たまたま今回はたどり着けたに過ぎない。そうしたものに互いを高めるチャンスはない。
]]>「ラマンチャの男」(だっけ?)で過去に吹っ飛ばされた広告マン(ジョニー・デップ)がパンチョに間違われドンキホーテに付き従うハメになるという作品で、人災、自然問わず様々な災厄に呪われ数億ドルの債務を負って頓挫する男泣きっぷりを披露したテリー・ギリアムが復活するとのこと。
新作はグリム兄弟が、白雪姫がいるという噂の森に突入するという相変わらずなのがステキって、主演はマット・デイモン!そしてモニカ・ベルッチ!キター!!もうあれだな、相変わらず明らかな俳優側からのラブコールの結晶。分かってるね!
ゴシックカルト大好きなジョニーデップの見果てぬ夢。叶わぬ恋。残念!ラマンチャ見てつくづく分かったのは「バロン」がいかにギリアム監督のキャリアの足引っ張ってるかってこと。あと、やっぱり現場は体力だ。そして最後は執念と夢よ夢。漢は夢だな。やっぱ最後は。矢沢も言ってた。
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最近ベルト好き。ここ3ヶ月で買ったのがこれ。選挙戦台風一家、いや一過。そういや「台風クラブ」って映画あったよね?で、選挙が終わりましてございます。まいど政治はわかりにくい。ただ今回はわかりやすい。民意を問うのだそうでございます。わかりやすい、気がする。
お風呂上がりにテレビつけてますと丁度、辻本清美さんが当選のインタビュー受けてました。それ聞いて、ああ、私が何か胃のいどころ悪いと感じるのはココだなと思いました。むろん辻本さんだけの話でありません。政治家のみなさんの言葉と、スタンスのところです。
気になったのは、辻本さんの「相手の圧勝加減が怖い」というものでした。勝った、負けたという言葉を使ってお祭り騒ぎになってますから、相手が圧勝すれば、これ怖いというのは言葉の繋ぎとしては自然、聞き流しそう。でも何が怖いんでしょう?
投票結果である以上、「勝った」という政治家は、多数の意見のシンボルでしかないのでは?みんな、「そっちが賛成」というだけの事なんでは?ロック(でしたっけ?)の「多数決の原理」は「(前提あれど)良識あれば多くの人間の方が正解を選ぶだろう」というある意味ソフトな物。その結果が怖いのは、そんな選択する大衆が怖いのか?たしかに恐れているものの判断など信じれまい。信じれないものの代表を務められるものなのか。
僕は少数派というのは大事な存在だと思う。「こういう意見もまたある」という視点を失わないために。僕はうかつな人間なのでこうした意見を言ってくれる存在は大事だ。ときとして大事に気づく。だからこそ、多かろうが、少なかろうが意見は意見だ。選ぶのは僕らであって、政治家でない。私たちに任せて欲しい。少数派と同じように、多数派にもシンボルの背後には同じ多くの人間がいることを忘れないで欲しい。代弁者に過ぎない人間が怖いという感情に言動、行動、動かされるのは、自分が代弁でなく、判断しているという思い違いだ。なぜ判断するようになるのか、それは自身の判断が勝ち負けを争っているかのように思うからだ。なぜそんな風に思うのか。そんな言葉使うからだ。「勝ち負け」は適切でない。すくなくとも僕は勝負を頼んだ憶えない。
「怖いもの」にしてるのは、「勝った、負けた」なんてそんな言葉使ってる人間自身なのだ。それは自分も巻き込んでみなを煽ってる。そのことを意識して行っているのであれば、僕は良識疑う。意識してなければ、その浅慮のほどをこそ、僕は恐れる。
期待を背負った代表であるのはたしかだ。その期待が実を結ばなかったのを残念に思うのは人間らしい感情だ。素晴らしいと思うし、失ってはいけないとも思う。しかし負けたのではない。そう思うことは驕りだ。
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雑誌の表紙なんかでもおなじみ
いま、結構見てみたい。いろいろな解釈あるが、小難しいこと抜きにマシュー・バーニーは、クリエイティブの発想や思考過程での肉体の起こりをモチーフに表現することを模索してる人なんだと思う。肉体は素材でなくモチーフなので、直接作品にはでなかったり。僕はそのへんすごく現代的な人だと思うし、だから共感呼ぶんだと思う。
比喩による思考の広がりと、肉体の発想のコンビ、レイコフ、ジョンソンによる肉中の哲学なんかとも繋げてみると面白いと思う。クイア理論が、「理論」として使われるようになった展開なんかについて考えながら、アメリカ中のアウトサイダーアート聖地巡りをしてみたりとかも面白そう。次に長期旅行するときにはそんなでブラブラしたい。うわー楽しそう。フフ。いつになることやら。フフフ。
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