書を捨てず街に出よう
2007/04/10 21:58
どうも。KOZZY OSBOURNEです。
今朝「書を捨てず街に出よう」ということを話しました。これは、ここ数年僕が感じてることを要約したような言葉です。
まず“書”です。
僕は、基本的に世間一般に言う“頭が悪い子”に分類される、決して計算が早いとか語学が堪能とか言われることのない人です。体育と美術だけが5、なんていう所謂典型的劣等生でございます。
そう、勉強が大嫌いな子でした(一部の教科を除いて)。
しかし、ある時期から無償に勉強がしたくて堪らなくなりました。確か、専門学校をドロップアウトし、数年後に廣済堂に入った頃からです。
それから推測するに、中学時代も高校時代も専門学校時代も、勉強しなきゃならない、って状況が僕のモチベーションを下げていたのでしょう。
ご存じの方もいらっしゃいますが、僕は専門学校を三年間皆勤した後に辞めています。それは、親に大金を払ってもらいながらも、そして自分が好んで選んだ道なのにも関わらず、勉強に対するモチベーションを上げることができなかった自分に対する罪悪感からくる判断でもありました(もちろんリアルな金銭的事情もありましたが)。
あとは、今勉強してることが、どんなときに活かせるのかをイメージできなかったことです。そのことは、今、僕が誰かに何かをレクチャーする際に、今勉強してることがどんなときに役立つのかをイメージできるようにする、ということを心がけるきっかけとなりました。
廣済堂では学んだことがそのまま仕事に活かされました。技術書やリファレンスブックを読めば、それが明日にでも役に立つ状況でした。
そこで僕は“書”の大切さをようやく実感したわけです。というより、能動的にものごとを吸収していく大切さを知ったということでしょうか。
また、あるわからない事柄に対して、自分で勉強するレベルと、知識のある人に教わるレベル・タイミングの見極めができるようになり、成長の加速度をあげることができました。
それらが自発的に何かを学びたくなる原動力となり、体力的にも精神的にも非常にヘヴィーな状況をプラスに変換して乗り越えるポジティブなループを生み出すことができました。
次は“街”です。
数年前まで僕は雑誌の編集者を目指していました。
僕の目指していた世界に入るには、勉強だけではどうにもならないセンスやある程度のコネも必要でした。しかし、そのときの僕にコネなんてありませんでした。
そこで、僕は街へ出たわけです。街へ出ていろんな人に会ったんです。
そして、遠回りか近道かわらないアクションがうまく結果に繋がり(もちろん幸運も重なりましたが)、うまくその業界の端の端に辿り着くことができました。
結果的には、うまくその業界でやっていく適正が自分には決定的に欠けていると感じ、すぐに立ち去ることになりましたが、そこまでの道程で“街へ出る”大切さを学びました。
だから、“書”だけでも“街”だけでもダメだと思うんです。
それらから得れるインプットは全く性質の違うものであり、それらを取り込むために使用する身体的な入力ディバイスも違ってきます。
目や耳や手触りや温度。それらをフルに感じるため、書を捨てず街に出よう。
次はNAO.さん……あ、こっちはAV女優……テヘヘ! ナオさんです。
今朝「書を捨てず街に出よう」ということを話しました。これは、ここ数年僕が感じてることを要約したような言葉です。
まず“書”です。
僕は、基本的に世間一般に言う“頭が悪い子”に分類される、決して計算が早いとか語学が堪能とか言われることのない人です。体育と美術だけが5、なんていう所謂典型的劣等生でございます。
そう、勉強が大嫌いな子でした(一部の教科を除いて)。
しかし、ある時期から無償に勉強がしたくて堪らなくなりました。確か、専門学校をドロップアウトし、数年後に廣済堂に入った頃からです。
それから推測するに、中学時代も高校時代も専門学校時代も、勉強しなきゃならない、って状況が僕のモチベーションを下げていたのでしょう。
ご存じの方もいらっしゃいますが、僕は専門学校を三年間皆勤した後に辞めています。それは、親に大金を払ってもらいながらも、そして自分が好んで選んだ道なのにも関わらず、勉強に対するモチベーションを上げることができなかった自分に対する罪悪感からくる判断でもありました(もちろんリアルな金銭的事情もありましたが)。
あとは、今勉強してることが、どんなときに活かせるのかをイメージできなかったことです。そのことは、今、僕が誰かに何かをレクチャーする際に、今勉強してることがどんなときに役立つのかをイメージできるようにする、ということを心がけるきっかけとなりました。
廣済堂では学んだことがそのまま仕事に活かされました。技術書やリファレンスブックを読めば、それが明日にでも役に立つ状況でした。
そこで僕は“書”の大切さをようやく実感したわけです。というより、能動的にものごとを吸収していく大切さを知ったということでしょうか。
また、あるわからない事柄に対して、自分で勉強するレベルと、知識のある人に教わるレベル・タイミングの見極めができるようになり、成長の加速度をあげることができました。
それらが自発的に何かを学びたくなる原動力となり、体力的にも精神的にも非常にヘヴィーな状況をプラスに変換して乗り越えるポジティブなループを生み出すことができました。
次は“街”です。
数年前まで僕は雑誌の編集者を目指していました。
僕の目指していた世界に入るには、勉強だけではどうにもならないセンスやある程度のコネも必要でした。しかし、そのときの僕にコネなんてありませんでした。
そこで、僕は街へ出たわけです。街へ出ていろんな人に会ったんです。
そして、遠回りか近道かわらないアクションがうまく結果に繋がり(もちろん幸運も重なりましたが)、うまくその業界の端の端に辿り着くことができました。
結果的には、うまくその業界でやっていく適正が自分には決定的に欠けていると感じ、すぐに立ち去ることになりましたが、そこまでの道程で“街へ出る”大切さを学びました。
だから、“書”だけでも“街”だけでもダメだと思うんです。
それらから得れるインプットは全く性質の違うものであり、それらを取り込むために使用する身体的な入力ディバイスも違ってきます。
目や耳や手触りや温度。それらをフルに感じるため、書を捨てず街に出よう。
次はNAO.さん……あ、こっちはAV女優……テヘヘ! ナオさんです。
Love wrote: